沿革・歴史
歴史も文化も異なる、ほくさん、大同酸素、共同酸素の3社が「空気と水」を通じて、産業と社会の革新に奉仕する新たな使命と意義で結ばれ、2000年にエア・ウォーターは誕生しました。その後、積極的なM&Aにより事業基盤を強化するとともに事業領域を広げグループ総合力を高めてきました。これからも、脈々と受け継がれてきた創業者精神をもって、時代を一歩先駆ける事業に取り組んでいきます。
沿革図
沿革
- 産業ガス
- ケミカル
- 医療
- エネルギー
- 農業、食品
- 物流
- 海水
- エアゾール
- その他
1929年 ~ 1992年
株式会社ほくさん
1929 |
昭和初期、道央で医療用の酸素が供給できたのは1社だけ。交通事情も悪く、十分な酸素吸入が受けられず、とある病人は他界してしまう。その兄が所属していた札幌商工会議所のメンバーが中心となり、「人の命を救うため、そして北海道の産業発展のために酸素を・・・」という壮大な構想をもって、北海酸素は誕生しました。 |
---|---|
1951 |
|
1955 |
「厳しい寒冷の地に暮らす人々の生活を便利に、そして豊かに」という強い使命感のもと、LPガスが日本に伝わってからわずか2年後に販売を開始します。薪や石炭で火を起こして暖をとり煮炊きをしていた人々にとって、LPガスの登場はそれまでの生活様式に大きな変革をもたらしました。 |
1963 |
まだまだ銭湯の利用が多かった当時、LPガスによる日本初のユニットバス「バスオール」を開発しました。団地や公営住宅のベランダやキッチンにおける半畳ほどのサイズで、自宅で気軽に入浴できる生活への憧れから大ヒットとなります。洗い場を追加するなどモデルチェンジを重ね、2006年まで生産が続けられました。 |
1966 |
|
1972 |
|
1979 |
酸素製造時に併産する窒素を有効活用できないか。考えたのは-196℃の液体窒素で北海道産の農水産物を瞬間冷凍させることでした。取れたての鮮度が保たれた高級食材として、ホテルや外食店に販売を開始し、農業・食品事業の先駆けとなりました。 |
大同酸素株式会社
1933 |
当時、鉄材の溶接や切断に使う酸素やアセチレンは価格が統制され、軍需産業が優先的に回されたため、中小企業家の入手が難しくなっていました。そこで彼らは変革を決意します。ガスを買うのではなく、「酸素を使う者が団結してつくろう」と。東京をも凌ぐ活気があふれた当時の大阪で生まれた大同酸素は、斬新な企業の姿でありました。 |
---|---|
1954 |
酸素の大量生産・輸送に応えるため登場したのが「酸素の液化」という発想。液体酸素は気体に比べ1/800にまで容積比を縮小できます。設備・技術に大きな投資が必要となる中、大同酸素はその転換を果敢に決断し、活況を極める造船所や製鉄所へガス供給を果たしました。 |
1962 |
|
1967 |
|
1970 |
三井東圧化学(現三井化学)との合弁で泉北酸素を設立、以後急成長する石油化学業界への初参画となりました。当時は小さな液酸メーカーであった大同酸素がチャンスを的確に捉え、事業の拡大を導く大きなステップとなりました。 |
1984 |
エレクトロニクス産業が急成長し、半導体の生産に必要とされる高純度窒素の需要量が増加します。原料空気の冷却に製品窒素を使う独自プラントを開発。業界の常識を覆す技術で最適なガス供給システムとして歓迎されました。 |
1988 |
|
共同酸素株式会社
1962 |
共同酸素は高度経済成長のまっただ中に誕生しました。重厚長大産業が目覚しい発展をとげるなか、激増する製鋼需要に対応するため、住友金属工業(現日本製鉄)は、和歌山製鉄所内に共同酸素を設立。転炉製鋼への酸素供給を始めました。 |
---|---|
1968 |
戦後、製鋼技術は進化を続け、「高炉・転炉を製鉄所の心臓にたとえるなら、酸素は血液である」とさえいわれたように、酸素が製鉄所の発展を支える大きな要素になりました。鹿島製鉄所のプラント完成により、旧住友金属工業3製鉄所へのオンサイト供給が完成しました。 |
1973 |
|
1978 |
深冷空気分離プラントからアルゴンと酸素が混合した状態で高純度のまま採取する独自製法を開発。採取後の混合が不要のためコスト面においても経済的で、かつ均質・安定品質で高い性能を誇り、建設機材や自動車などの溶接プロセスで使用されています。 |
1993年 ~ 1999年
大同ほくさん株式会社
1993 |
北海道を拠点とするほくさんと、西日本を拠点とする大同酸素の合併は、産業ガスのリーダーとして全国展開するという大きな夢を実現すると同時に、その後の業界再編の先鞭をつけることとなりました。この合併以降さらに、多様な企業と業務提携することで効率化を図ろうという経営スタイルは、現在のエア・ウォーターの根幹ともなる経営方針です。 |
---|---|
1995 |
|
1996 |
|
1999 |
|
共同酸素株式会社
2000年 ~
エア・ウォーター株式会社
2000 |
大同ほくさんは、旧住友金属工業との長いビジネスのつながりをもとに共同酸素との合併を実現し、エア・ウォーターが誕生しました。高炉向けの大型オンサイトを事業の基盤としつつ、地域に根ざしたシリンダー供給まできめ細かに扱う、総合ガスメーカーとしての事業形態を整え、さらに新分野へも事業領域を拡大していきます。 |
---|---|
2001 |
|
2002 |
|
2003 |
|
2004 |
|
2005 |
|
2006 |
|
2007 |
|
2008 |
|
2009 |
|
2010 |
|
2011 |
|
2012 |
|
2013 |
|
2014 |
|
2015 |
|
2016 |
|
2017 |
|
2018 |
|
2019 |
|