HOME > 採用情報 > キャリア・プレビュー > 北川 裕二

採用情報

仕事情報/キャリア・プレビュー

北川 裕二

ベテラン社員の仕事クローズアップ1 北川裕二の仕事

国内トップシェアメーカーの買収に携わる

写真:北川裕二エア・ウォーターにとってM&Aは事業展開の強みであり、そのダイナミズムに注目する学生も多い。北川は、まさにそのM&Aに深く関わる業務に従事している。
昨年、北川が携わった案件のひとつに、製塩事業で国内シェアトップの日本海水の買収がある。
案件が動き出したのは、2006年の冬のこと。当時、自社グループ会社としてケミカル事業を担うタテホ化学では、マグネシアの製造原料であるニガリの安定確保を目指すため、原料購入先である日本海水への5%出資を行った。一方で、エア・ウォーター本体としては今後の事業発展というマクロ的な視点から、原料の安定確保に加え、海水そのものが持つ新たな資源としての可能性、水処理事業への展開に着目し、日本海水との間でのより密接な技術シナジーを創出するべく、本格的な出資を検討していた。
「エア・ウォーターは、AirとWaterの会社。海水から塩とマグネシウムを取った残りのWaterへの着目も経営判断の背景にあったと聞いています。」ニガリの中にはマグネシウムの他にも、たくさんの貴重な微量元素が含有されている可能性があるが、現在の技術ではその抽出および有効活用が実用化されていないという。また、日本海水には塩事業部門の他に環境事業部門があるが、排煙脱硫用水酸化マグネシウムスラリーや、“READ(リード)”という独自の高性能吸着剤をコアとする水処理事業をおこなっており、発電所や地方自治体への納入実績を持つ。日本海水をグループに迎え入れることにより、海水中に含まれる未抽出資源の活用や水処理技術をもとに、海水産業の新たな創出に取り組んでいこうというわけである。
このような経営ビジョンを受けて、日本海水買収に向けた業務を担ったのが北川が所属するグループだった。北川は、日本海水の企業価値評価や買収による業績への影響の検証、譲渡先との売買交渉をおこなう上司のもと、主に国内ニガリバランスや、海水資源の有効活用技術動向の調査、買収後のシナジー検討に携わった。
「実は、総合企画室に配属される前は、2年ほどタテホ化学の開発部隊とともに、海水由来の水酸化マグネシウムを主成分とする難燃剤の開発に取り組んでいました。そのような経験を買われ、タテホ化学とニガリの関係であるとか、海水中の有効成分はどうであるかとか、また日本海水の事業や技術などについて経営陣への提出資料の作成や買収効果の検証などを担当しました」
日本海水のグループ化を彼自身はどのように評価しているのだろうか。北川に訊ねてみた。
「マグネシアの需要が世界的に伸びているなか、日本海水が傘下に入ったことでエア・ウォーターのケミカル部門としては非常に協調して事業がやりやすくなったといえます。また、シナジーも生まれています。エア・ウォーターでは、飲料用ミネラルウォーターも製造販売していますが、そのミネラル分についての研究を日本海水とともに始めています。また物流については、重量物である塩の物流の合理化という面から、グループ会社であるエア・ウォーター物流の役割も期待されています」
日本海水の買収後は、同社の担当者とエア・ウォーター側との窓口として経営陣の会議に必要なさまざまな資料の準備やそのやりとりのサポートなどをおこなっている。その後、取り組んだ化学品・電子ケミカル専門商社である井上喜(株)への出資案件(2008年4月に34%出資を達成)については、企業評価、事業計画の策定、契約書の作成など出資までの実務を事業部とともに遂行した。
上司をはじめ、各事業部のスペシャリストや弁護士、公認会計士など専門家のサポートを仰ぎながらの作業だから、自分自身が物凄い仕事をこなしているわけではないと北川はいうが、企画担当者として社内人脈が広がってきていることは確かだ。
エア・ウォーターのM&Aはメーカーへの出資が中心であり、技術のシナジー創造が大きな柱だと北川はいう。今後もM&Aはエア・ウォーターの事業推進、拡大を図るうえで重要な柱となっていくことだろう。

M&A要員としては異色ともいえる経歴

写真:北川裕二M&A分野で活躍した北川だが、彼自身大学時代からこのような仕事に就くうえでの才能や知識を学んできたかといえば全く違う。北川は大学時代、自然科学研究科で物性物理化学を専攻し大学院にまでいったバリバリの理系人間。1997年、エア・ウォーター入社後は堺研究所に配属され太陽電池の研究にあたる。1999年には環境素材開発プロジェクトに配属され、新規事業として立ち上がった難燃剤事業で技術営業を担当する。大学、大学院と、結晶畑一筋に取り組んでいた北川には、シリコンの結晶を応用した太陽電池も、水酸化マグネシウムの結晶を扱う難燃剤も割と入りやすい分野だった。しかし、技術営業への配属にあたっては、やはり違和感があっただろう。
「正直、異動を命じられた時は、エッ?という感じでしたね。なぜ、私が?という戸惑いと、私に本当にできるのだろうかと不安は大きかった。しかし、なぜ私なのか。よく聞くと、新規で立ち上げる事業、新しい技術、主な売り込み先は技術者となるので技術的な知識や感性が必要になる、だから君なんだ、というようなことを言われ、そういう意味では研究室を飛び出して活動するのも面白いのではないかなと思いました」
とはいえ、実際に動き出して見ると任務はそれほど容易ではなかった。
「全くおつきあいのなかった会社への飛び込みというわけではないのですが、なんといっても新しい物質でまだ市場も立ち上がっていませんでした。関心はあるが、市場として急いでやる必要はないという反応が多かったですね。その意味では実際は飛び込み営業に近かったのかもしれません。自分としては全く初対面の会社に突然電話をして、こういうものを開発したので、ついては売り込みに行きたい、ぜひ研究所の方に会わせていただきたいということをとうとうと電話でしゃべる。毎回の電話が練習になり、次第に度胸もついていきました」
研究者や技術者と会えた時には、技術的な話でどんどん盛り上がり、楽しかったというが、購買や資材の担当者のところをまわることもあり、コスト面などでかなりシビアに突っ込まれたこともあるという。ビジネスの百戦錬磨の猛者たちの厳しい洗礼もまた北川の度胸を鍛えあげたのだろう。
結晶畑から技術営業畑へ、新たなフィールドで北川は着実に経験を積んでいった。しかし新規物質の技術的評価と市場評価はまた別の話。営業を重ねる中でいくつかの成約を上げることができたが、なかなか市場が立ち上がらず、いくら営業部隊ががんばってもやはり勢いが弱い。事業として当初計画していた数量が出なかったこともあり、会社が、より市場創造力にすぐれた新製品開発への着手を検討していた時のこと。会社としての開発指示は出たが、そのための開発要員が不足していた。そこで北川に白羽の矢があたり、2年間の技術営業を経た北川は再び研究最前線へ戻る。
「2年間、エア・ウォーターの開発要員としてタテホ化学の開発部隊に単身派遣され、開発に従事することになりました。“技術営業の経験を通して北川なら市場感覚もあるだろう”ということも背景にもあったのだろうと思います」
技術開発のテーマは決まっていた。難燃剤の小粒径品の開発だ。当時、1μmほどの粒径の製品はすでにあったが、それよりもさらに微細な小粒径品の技術開発がミッションだった。
「小粒径化によって難燃剤の用途がより広がることは確かでしたが、いかんせん技術的にはかなり難しかった。競合を含め、当時はどこの会社にも未だ実現していない技術でした。私は、ラボスケールでの実験から商業生産に備えた製造条件の確立を担当したのですが、求められながらも未だないものを創っていくという意味では非常にやりがいがありましたね」
最終的にはパイロットプラントでの製造にも成功し、サンプル品も作り上げた。その顧客評価は高く、市場投入まであと一歩というところまで行った。しかし、難燃剤事業そのものが当初想定していたほど市場の伸びや広がりが期待できず、その時点で難燃剤の製品構成変更が決定された。
「せっかくここまで来たのにという思いがあっただけに正直、残念でした。しかし、その時、常に市場を見据えて事業化・方向転換を判断する経営陣の視点の確かさ、経営判断の速さに感心したのを覚えています」
研究室の中での開発とは違い、事業はつねに市場という生き物を相手にダイナミックに動いている。そう実感したのもこの頃なのだろう。
北川は、やがて、そのダイナミズムのなかへ自ら身を投じることになる。2006年1月、ふたたび難燃剤の技術営業に戻った北川だが、すぐにM&Aを取り扱う最前線である総合企画室への配属を命じられる。そして2006年末より、先に述べた日本海水の株式取得案件の仕事に携わることになる。

会社の全体が見えるようになってきた

写真:北川裕二研究、技術営業、開発そして総合企画と歩んできた北川だが、彼自身、現在の仕事をどのように考えているのだろうか。
「この仕事に関わることで、会社の全体をようやく見れるようになってきたと思います。最初は研究でラボだけ見ていた。次に技術営業の仕事で世間が見えてきた。今は経営にも近いところにいますので、会社の運営というか事業の運営がだんだんわかってきた。自分の知識が日々広がって行っているのを感じます。それもバラバラではなく、事業各部の働きを統合してどのような事業になっているのか、どのように成長のスパイラルを描いていこうとしているのか、最近やっとわかってきたように思えます」
経営企画のスタッフ部門は、市場理解、事業理解に加え、法務や経理などの知識も時には必要になってくる。入社当時、今の姿など想像もしていなかったに違いない。
「正直、自分でもここまでやることになるとは思ってもいなかったですね。ひとつの案件に絡むと、たとえばM&Aに関してもそうですが、まず市場の知識がいる、それを調べる。対象会社の技術について調べないといけない。企業価値評価もしなければいけない。さらに、実際の契約にあたって契約書を作らないといけないので法的な知識もいるし、買収したあとのシナジーの創造を含めた事業計画も策定しなければならない。減価償却がいくらかかるか、経理的な知識も求められる。とにかく、今の仕事はあらゆる意味で幅広い知識が問われます。上司や弁護士、公認会計士などにいろいろと教わりながら、常にトライする日々です」
しかも実際の仕事では、初めてだからとか、まだ勉強中なのでという言い訳は成り立たないし、許されない。自分の作った資料がそのまま経営判断を左右する場合もあるわけだ。実際、上司からもそのつもりで作るようにと常々言われているという。
「責任の重さはとても感じています」
とはいうものの、エア・ウォーター自体の事業のダイナミズムを感じる今の仕事に就けたことを喜んでいる北川の姿がそこにある。とりわけM&Aに関連した仕事に就くようになって北川が驚いたのはそのスピードだという。
「企画に来る前から、M&Aという言葉はよく聞くし、会社を買うんだというイメージはありました。ただ、会社なんてそんなにすぐに買えるものではない、数年がかりぐらいで交渉してやるんだろうというイメージだったんです。ところが、実際には数か月単位で物事はドラスティックに動く。とくにエア・ウォーターの場合は、経営判断が的確かつスピーディに下されます。経営判断としてM&Aを決断したら、先方と速やかに交渉し、そこにある課題を早期にクリアしてなるべく早くクロージングまでもっていくことが求められます。当然、さまざまな分析や資料の作成、事業計画策定などの作業にもスピードが求められます。1年では遅すぎる、時間がかかってせめて半年ぐらい、それがエア・ウォーターの時間です」
経営幹部への報告などは上司の担当なので、北川自身が直接説明する機会はまだないというが、出張時同行や資料作成を求められるなど経営幹部と接する機会も増えつつある。現在は、各事業部門の経営戦略策定作業を主にサポートしている。
「まだまだ専門家から上司を含め吸収する部分が多い、そのうえで最終的には自分で会社に提案を、つぎの事業のイメージを描けるようになりたいと思っています」

これしかできないと思わず、なんでもやろう!

写真:北川裕二最後に、このコメントを読んでいる後輩たち、とくに理系に学ぶ学生へのメッセージを聞いてみた。
「総合企画の仕事は文系と思われがちです。実際、他社の人と話すと経理などをやっていた人も多い。そのなかで私のような技術畑の出身は異色ともいえるでしょう。でも理系、技術系ゆえの強みと無縁かというとそうでもない。これからは技術的な目をもって案件を探すこともあるかもしれません」
その意味でも、自らが置かれた局面局面で常に幅広く関心を持ち、柔軟性をもって対応していくことが大事だという。北川自身、仕事はもちろん私生活でも、“これしかできないと思わず、なんでもやろう!”という精神で臨んでいるという。
「どうしても理系だとその分野にものすごくのめり込んでしまう面がある、それは好きこそものの上手なれというように、興味をもった分野に突っ込んでいくのはいいですけれど、なるべく幅広くいろんな、関係ない分野の雑誌や論文などにも目を通しておくのがよいかと思います。また理系の方に敢えて言うとしたら、大学時代の専攻や研究テーマが就職後もそのまま続けられるということは、他社も含めてまずないと思います。その先がどうなるかわからない。何もマイナス思考で言っているのではありません。その先がわからないということをプラス思考でとらえることで、将来に柔軟に対応していくことができる。理系で鍛えたロジカルな思考や、技術的に何かに特化した知識のバックボーンを持ったうえで、“柔軟な対応力”を心構えとして持ち続けることで、自分でも想像さえしていなかったようないろんな可能性が広がっていくと思います」
エア・ウォーターはいろんな知識や能力をもった人、いろんな会社からさまざまなキャリアを持った人が、M&Aを通じても集まってきている。会社のなか、グループのなかに、あらゆる知識と人の資源があふれていて、それを貪欲に吸収していくことができる。それが、この会社で働く魅力ともいえるだろう。
北川は自信をもって言い放つ。
「本人がその気になれば、ものすごく勉強できる。いろいろな知識と情報、事業のダイナミズムをどのように吸い上げ、活かしていくか、そのストーリーさえ自分で創り上げられれば、活躍できるフィールドはいくらでもある。無限に広がっていきます」
入社12年を迎えた彼のこれまでの歩み、そして成長を目の当たりにした時、“これしかできないと思わず、なんでもやろう!”という柔軟性を持つことが、自らを変えていくうえでいかに大事なことか。またそれを支え、可能にしてくれるエア・ウォーターという場の持つ力を感じずにはいられない。

北川裕二の12年

1997年 自然科学研究科 物性物理化学専攻 卒業
同年入社後、堺研究所に配属
1999年~ 環境素材開発プロジェクト
2000年~ 難燃剤グループ
2001年~ 化成品部
2002年~ 産業事業部難燃剤グループ
2003年~ 難燃剤部
2006年~ 総合企画室